自分物語
年配のお客様がこうおっしゃった
「私がお世話になり始めた頃、70代だったのにもう今は80代なのよ」
時の流れは誰にでも平等に訪れる
僕も
お店を出してから8年が経とうとしている
色んな事があった
何となく思い出して振り返りの為に書いていこうと思う
第1期 『手探り期』
オープンしたての頃は何をしていいのかもわからずに手探りだった
お店もこんな場所
車通りだってあまりない
僕たちが外に発信していたものといえば
手書きの看板
これのみ
SNSなんてのもやっておらずに
神頼みだった
そして途中で気付いた
「花だ・・・」
こんな感じでお店の前に花を植えた
そんなんだからあまり知られることなく1周年はひっそりと迎えた
ここで困った僕は聞いた
どうすればいいかを友人に聞いた
「これからはSNSだよ」
教えてもらった
ごっさんはうちより先にオープンしていて色んなことに対してのアンテナというものがあった
そして今はなき若手オーナー会というのにも参加していた
なんか当時はオーナーという響きだけで酔えた
その当時、勉強会にも多く参加した
これは今まで僕は大きな店にいた
だから薬剤で困ったら誰か他のスタッフに聞くという事が出来たのだ
でももうそういうわけにもいかないから必死で勉強した
そしてこの当時に強く感じた事がある
いくら勉強したってそれを発信できなければ自己満足になる
覚えたって発揮できなければ意味がない
当時、ケミカルが得意な美容師さんの発信力が本当に弱かった
あとはこの頃に専門の同窓会があった
ほぼみんな美容師をやめていた
そんなんで自分で勝手に同期の代表みたいな気持ちになった
僕が美容師で輝いてる姿をみんな見て!!!!!って思っていた
なんかそんなのが重なって僕はブログで自分を表現するという道を選んだ
当時、自称ブログコンサルみたいな人に会った
なかなかこれが偉そうな人で
「君のブログは木村さんのマネだね」
って言われた
自分で考えて書いていたものがマネって言われてめっちゃ腹立った
そして木村さんって人を探した
airって東京のサロンか!!!!って発見した
とりあえずairのセミナーに参加した
木村さんじゃない人だった
僕は木村さんのマネって言われるのが嫌だったから1番、木村さんが見れるオンラインサロンに入った
第1回目の集まりでは全ての美容師さんが敵に見えてすみで小さくなっていた
これが僕の一種のコンプレックスになったかもしれない
中にはもう有名な人もいた
豹さんなんかもそうだ
みんなに話しかけられていた
その中で僕はすみで震えていた
何で来ちゃったんだろ??ってめっちゃ思っていた
第2期 『がむしゃら期』
ここで僕は思った
有名になってやろう!!!!!!
色んな事をした
ブログで本当に色んな事をした
みんなに知ってもらうためだったら顔に絵を描いた
ジフも使った
人がやってないことを常に考えていた
セミナーに行っても自分を売り込んだ
セミナーを聞かずに自分を売り込んでいた
がむしゃらだった
時には母の顔にも落書きをした
この当時の出会いが三角さんだ
初対面でこの顔
僕は殺されると思った
出会いはごっさんが参加していたファッションショー
このショーのDJをやっていたのが三角さんだ
ごっさんと三角さんはそれ以前から知り合いだった
こんなのもあって当時はまだやっている人が少なかったワードプレスでブログ
これを習う為に三角さんのところに行ったりした
仲良くなったのはこの頃
そしてよく飲むようになった
今よりみんな時間があった頃だ
ある時、三角さんが紹介してくれた子がいた
「有名な子の姉」
それがカンナだった
「ブログ見てます」
僕、たぶん人生ではじめてそれを言ってもらった子がカンナだった
この頃、よく4人で飲んでいた
この頃、菱田さんは全然、飲み会とかに参加しない子だった
でもカンナが手を引っ張った
当時、菱田さんは“カヅオ”って呼ばれてた
「カヅオ行くよ!!!」
連れ出した
こんな感じで3人で遊びに行く事が多くなった
こいつらは手を合わせれば僕が奢るというのをお決まりのパターンにしたのだ
このポーズを見るたびに僕の財布からお金が減っていった
第3期 『調子のり期』
この頃になると僕は調子にのっていた
面白いようにブログが読まれた
出かけて声をかけられることもあった
そして泊まりで遠くから来店される方も増えた
かなり調子にのっていた
美容師が沢山集まる展示会などでは
「僕が館内を一周する間に何人に声をかけられるか??」
みたいなゲームをした
かなり調子にのっている
この頃、この人たちとも会った
ただ僕はこの数日後にカンナとケンカをした
それから3年は連絡をとってなかった
最近はDSを借りたりしている仲だけど当時はまったくの音信不通になった
たぶん僕が調子にのっていた部分も原因の1つだと思う
第4期 『様々な出会い』
この頃に色んな出会いがあった
例えば富さん
専門の先輩だったから何となくは知っていた
忘年会か何かで呼ばれた
僕は早く着きすぎたのでその店の前のベンチで座っていた
そしたら富さんが来た
僕は人見知りだし相手が先輩だったので下をむいていた
そしたら
「木戸くん??」
って言いながら膝に座ってきた
まじでヤバイ人だと思った
そして池田さんも
当時、富さんと池田さんは付き合っていたのでくるようになった
こんな感じでこの頃から
このメンバーでいる事が多くなった
なんか当時はみんながサーフィンにはまっていたから海に行ったりもした
この頃は東京もよく行っていた
東京のメンバーはツイッターで仲良くなった人達
東京に行くとすぐに誰かしら来てくれる
車で行っていたから次の日が仕事なのに深夜1時に逗子まで送っていったのはいい思い出です
この頃にタケさんにも呼んでいただいた
タケさんはよくカンナが
「タケしゃんも呼ぶ??」
とか名古屋で飲んでいる時に言っていたから知っていた
でも毎回、完全に断わっていた
こわかったのだ
でもはじめてお会いした時に全然、こわくなかった
なんなら後にケイスケさんと3人で
ドラゴンボールみたいなことをやった
そういえば松さんもこの頃に家に来た
勝手に人んちのキッチンをさばくる姿にただものではなさを感じた
この頃ってのちに・・・って感じが増えた頃
のちにこのメンバーでハワイに行くとは思わなかった
第5期 『個々の確立』
菱田さんはずっと金髪だった
これってやめれなかった1つの原因に
「金髪で覚えられていると思うから」
って言うのがあった
アシュリの菱田さんっていうアシュリに対するジレンマもあったと思う
この頃、菱田さんは金髪をやめる
自分の確立だと思う
菱田さんがいるアシュリ
逆にしたかったんだと思う
なので撮影をした
今まで撮影なんかしてなかった子が急にはじめる
相当のプレッシャーだったと思う
最初の撮影は大阪に行った
ジュナちゃんに頼んだ
僕は僕で僕らしくしていた
ブログをはじめたきっかけは知ってもらうため
そして見ていただいている方のため
それがいつしか勘違いを起こさせた
調子にのっていたのだ
それを一旦、リセットさせる考えをもつようになった
この頃からPVをまったく見ていない
PVに囚われていた考えをやめた
そういえばこの当時、こんな服を着ていて
職質されたのはいい思い出だ
誰よりも楽しんでやろうと思った
美容師らしくなくてもいいから全力で楽しもうと
そしたらあるメーカーさんから取材の依頼がきた
しかし
真面目な話をしながらシャンプーさせられた
そして誕生日でみんなにLAに連れてってもらった
というか行かされた
「LAに1人で行って動画を撮ってきてください!!!」
こんな事を言われる経験ができる人は滅多にいないと思う
人から助けられてばかりの人生だったから自分のチカラを試すために富士山に登った
もう2度と登らないと心に誓った
僕はこれからも人に助けられて生きていきたいと思った
そしてハワイにも行った
こんな感じで今年はコロナがきた
めっちゃコロナがきた
でもこれまで積み上げてきたものは結構、崩れずに耐えてくれている
さっきもお客様が
「あんたら偉いねぇ。ちゃんとやってる!頑張れ!」
って言って帰っていかれた
ちゃんとやっているように見えるらしい
これからもちゃんとやっているように見えるようにやっていこう
そういえばさっき菱田さんに聞かれた
「今日が周年の日だったっけ??」
待て待て待て
今日じゃねぇ!!!!!!!!!!!
まだだ!!!!!!!!!!!
忘れんじゃねぇ!!!!!!!!!!!!!!!
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KIDO DAIKI
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