万博の思い出
皆さんはこのキャラクターを覚えていますか??
あるお客様がこんな事をおっしゃった
何でそんな会話の流れになったのか忘れたけどこんな事をおっしゃったのだ
「私、万博でバイトしていました」
万博とは愛・地球博の事だ
愛知県の長久手市で20年近く前にあった万博だ
めっちゃ思い出してめっちゃテンションがあがってめっちゃ話していたら菱田さんに
「お客様の晩ご飯の時間になるので早くしてください」
って言ってぶったぎられてしまった
このままでは不完全燃焼なので万博の思い出を書いていこうと思う
僕が万博に行ったのは社会人2年目
確か火曜日に行ったのだ
なぜ覚えているかというと新人研修の次の日だったからだ
2年目なので1年目の子を研修する
めっちゃ嫌だった覚えがある
だから
「これを乗り越えれば万博だ・・・」
って思って教えた覚えがある
万博会場へは車で行ってシャトルに乗り換えた
めっちゃ混んでいてシャトルを何本も見送った覚えがある
最近、友人のカンナさんが
「私、よく原チャリで万博行ったわぁ。原チャリだと横付けできるんだよね。」
っていう当時教えてほしかった裏技を教えてくれた
でもそもそも原チャリで豊橋からは行けないのだ
本当にめっちゃ混んでた覚えがある
ディズニーの5倍混んでいた
当時、勤めていたサロンのお客様がどこかの国のパビリオンのファストパスをくれた
これで3時間のワープが出来た
それぐらい並んでいたのだ
覚えているのはワニの肉を食べた事だ
めっちゃ硬くてアフリカ人にならなくてよかったと思ったし願わくば来世もアフリカ人は嫌だ
アメリカのパビリオンにも入った
当時は9.11から間もない頃でアメリカのパビリオンのセキュリティも半端なかった
でも万博の入り口でもセキュリティゲートをくぐってきているのに・・・
ここではアメリカの自分たちがよければそれでいい気持ちを学べた
アメリカのパビリオンは確か雷を作るマシーンに乗るみたいなディズニー的な乗り物だった
気持ち程度濡れてちょっとイラッとした
日立かなんかのパビリオンにも入った
今ではそんなに珍しくない事だけど当時は画期的だった入り口で顔の写真を撮って自分が映画の登場人物になれるやつだった
僕は宇宙船の乗組員になった
隣りのおばぁさんは顔が反応しなかったようで真っ黒になっていた思い出がある
当時の技術では年配の顔を認識できなかったらしい
藤井フミヤがつくったでっかい万華鏡やなんか物語が窓の外に流れるでっかい観覧車にも乗った覚えがある
サツキとメイの家は混みすぎていて行けなかった
そんな思い出・・・
ここで僕は今でもすごく後悔している事があるのだ
今でも夢に見てうなされる
それは帰り間際の事だ
出口のゲートにむかって歩いていた時だ
ちょっと前のおばさまが腕時計を落としたのだ
当時の僕は20歳そこそこだった
「落ちましたよ!」
って言うのが恥ずかしかった年齢
38歳の僕なら走ってでも届ける
でも20歳の僕は恥ずかしくて見て見ぬふりをしたのだ
それを今でも後悔している
もしかしたら亡くなった旦那様の形見の腕時計だったのかもしれない
だからここで後悔をなくさせてもらいたい
『あの時、腕時計を落とされたおばさま!出口付近の“てもみん”の近くにありますよ!!!!!!!!!!』
これでスッとした
やっと伝えれた
これで拾いに行っていただけるとありがたい
なんかいい事をした気分だ
これで今日からゆっくり寝れます
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KIDO DAIKI
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